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*読むに耐えない毒吐きです* こぶつきの父と初婚の母の結婚は、祝福されるものではなかった。 母の養母の反対はことのほか厳しく、 2人は駆け落ち同然で東京の地を離れ、 遠く北の大地に駆ねばならなかった。 一大決心をした母ではあったけれど、 その後、4年間は内縁関係を維持し、 例えは悪いけれど、自分の予防線を張ったのだった。 「あんたを育てる自信がなかったし、 パパだって、いつ気が変わるかわからないもん」 母は、明るくあっけらかんとはしているが、 蛇のようなと自分でもいう、どろりとした根の深い気性でもある。 母と父が正式に夫婦として婚姻したのは、 東京に戻り、わたしが中学に入ってからのことだった。 籍を入れてから、母と父ははじめて母の故郷を訪れ、 母の実父と義母に会い、結婚の報告をした。 父方の祖父母のもとにいたわたしは、このことを長く知らずにいたし、 母も決してわたしを親戚に娘と紹介することはなかった。 当然、母の親戚とはまったく縁も面識もなく、 自分の意識のうえにものぼることのない、 「母の父であり、母の親戚」であり、 どう間違っても、それが祖父であるという認識などなかった。 母の養母が亡くなったときにはじめて東京に来た、 母の父を見、叔父だという親戚を見た。 わたしはすでに結婚していて20台のはじめになっていた。 葬儀が一段落した頃、母の叔父だというひとりがわたしに歩み寄り、 「一度、遊びにきんさい」 そう言って笑いかけてくれたとき、わたしは驚きのあまり、 「わたしが、行ってもいいのですか?」 そう聞き返すだけが精一杯だったのをはっきり覚えている。 もしかしたら、わたしはひとり泣いたかも知れないがどうだっただろう。 人目を気にしない、豪快な人ではあった。 結局、母に紹介されないまま、母の父という人とはひと言も 話すどころか、目が合うということもなく、 2日間の葬儀が終わっていった。 その後も折に触れ、母の故郷を旅行することがあったが、 すべては、わたしには内緒ということでの帰郷であった。 その人を今、わたしの「おじいちゃん」だと父が言い出している。 わたしの送った手紙や写真などを、 「おじいちゃんが喜ぶから、コピーして送るね」 と、数日前、父が言ってきた。 母の故郷に96歳、今もかくしゃくとして漢詩を作る、 日本帝国の元海軍士官だ。 こうして今、このことをブログに書いている理由は、 やるせない想いをぶつけるところがなく、 明らかに、わたしは父への激しい怒りを吐き出そうとしているのだ。 今さら、何を言っているのか! あちらにしたって、孫だなどと一瞬たりとも思いもしていないだろうに、 ただ面食らい、迷惑なだけではないか。 あちらも、わたしもそれを喜ぶと父は本気で思っているのだろうか。 母の故郷に連れていってもらえないと知った小学校低学年の時から、 なぜなのか、自分の何がいけないのかと何度も泣いた。 母の養母の冷えた目を、小さい子供がどんな風に耐えていたか、 知るよしもないだろう! わたしも母の養女であれば、母は叔母を養母として育った。 その養母も養女であったという親子3代ではある。 荒れて荒れて家にも帰らなくなり、高校をあと2日休めば 卒業できないというときに、父がたたきつけてきた言葉。 「お前は、実母に捨てられた、いらなかった娘なんだ」 母だと思っていた人が、母ではなかった。 それで、子供の頃からの疑問がすべて解けたのだった。 母の故郷に連れていけなかった理由がここにあったのだ。 それは、それでいいのだ。 それでも、投げ出さずわたしをみてくれたのは、この母なのだから。 でも、今さら。。。だ。 「おじいちゃん」などと言われる筋合いはない。 祖父だなどと、孫だなどと、誰が認めているというのか。 わたしを自分の父親に紹介できなかった母。 暖かい言葉ひとつ交わすことのなかった遠い人。 それをどうすれば、祖父だなどと今さら思えるというのか。 父は、いったい何を血迷っているのだろうか。 腹の底からこんこんと怒りがこみ上げてくるのを我慢して、 老いた父に、激しい怒りの言葉を投げつけることをかろうじて飲みこむ。 わたしには、親戚のひとりも日本にはいない。 かつて、親より仲の良かった叔母たちも、叔父たちも、いとこたちも、 すべて、父が絶縁をして、わたしとの関係を断ち切ってしまった。 育ててくれた懐かしい祖父母の死んだ日さえ、わたしは知らない。 いや、死んだことさえ知らされていないのだから。。。 母方の血縁は、わたしにはまったく縁のないもの。 それでいいのだから、そのままそっとしておいて欲しいのに・・・ こういう自分は「孤独」であろうかと、考えたことはある。 多分、何度も何度も。。。 でも、それでいいと思う。 それが自分の人生なんだと思うから。 兄弟も、親戚もなく、 結婚しても決して子供を作るまいと、 ひとりの道を選んだのだから。 すべてのしがらみから抜け出したくて外国に逃げ、 やっと安心していられる場所を見つけたのだから、 お願いだから、これ以上、わたしの心に触れないで。 もう、開放して欲しい。 ほうっておいて。。。ひとりにしておいて欲しい PR |
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冷たい風が吹きすさみ、雲がどんどん海のほうに流れていく。 西の空が橙色に色づいて、今日の終わりを告げる。 西向きの家、夕焼けの暖かい光が部屋深くに毎日さし込んでくる。 そして、いつものように、 「今日もきれいだった一日をありがとう」と太陽に感謝する。 繰り返す毎日がどれだけ尊いか。 繰り返す毎日が繰り返さなくなる自分にとっての最後の日、 毎日、それが今日だと思いつつ。。。 |
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ここらしいぬけるような晴天に恵まれなった 今年の GOLDEN WEEK 。 心なしか、人手もいつになく少なく、 はじける活気を感じることができなかった。 それでも、中心からかなりはずれたビーチにも、 数組の日本からの旅行客の姿があった。 じろじろという露骨にではないけれど、 楽しそうな人たちについ目が行ってしまう。 今日は朝からどんよりと重い灰色の雲 がびっしりと空をおおってしまい、海の色も鈍い銀色に沈んでいる。 せっかくの休みに安くない旅費でここまで来て、 こんな天気だなんて、どんなにがっかりするだろう。 透きとおった青い海を見て欲しかった。 太陽が出るとね、海底の珊瑚や色とりどりの魚たちが 海の上からも見えるのよ。 それに何より、晴れた日の海の色を見て欲しかった。 淡いエメラルドグリーンが沖に行くにつれてマリンブルーになり、 濃く深い青の海になっていく、その絶妙な色彩の変化を。 1年間の晴天率は74%もあるそうだけど、 よりにもよってこの時期に曇るなんて。。。 ゴールデンウィークが終わり、 みんなが日本に帰ってしまったあとは、 毎年のように、少し寂しい気分になる。 誰にともなく、 「また、来年も来てね」 そう心の中でつぶやいてみる。 |
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あらら、松坂ダイスケくん、 ちっともカッコいいとこ見せてくれないね。凹○コテッ |
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義姉がなんとひとりで劇場に行くのが嫌だとかで、 金曜日ではなく彼女の都合のいい今日、日曜日のショーを見てきた。 金曜日の観客は500人という前代未聞の様子だったらしいけど、 今日は。。。ひぃふぅみぃ。。。300人くらい。 それでも、こんなことはかつてなかった。 ショーは。。。 ちっとも理解できなかったぁ(爆) いつも大体こんな感じで、聞き取りにくくて。 劇場なもんだから、マイクを使っているとはいえ、 音がぼわんとわれるし、発声も一定じゃないから、 わたしにとって、舞台の英語を理解するのは至難の業。 それでも、今日のは日常のどこにでもありそうな「いじめ」の シーンなのに、ほとんど意味がつかめなくて、 なんとなくわかったといった程度だったなんて、 英語力のなさにがっくり これじゃ、良かったのか悪かったのかも判断すらできないわね。。。 |
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がびっしりと
